第15回 「視覚資料にみる中島飛行機武蔵工場と空襲」
基本情報
<講師> 牛田 守彦(うしだ もりひこ)様
<プロフィール>
1961年10月19日生まれ(42歳)。現在は法政大学第一中・高等学校教諭。
2002年1月に発足した「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」(代表・川村善二郎)では事務局長を務めていらっしゃいます。
戦争遺跡保存全国ネットワーク編『戦争遺跡に学ぶ』(岩波ジュニア新書)、
十菱駿武・菊地実編『続・しらべる戦争遺跡の事典』(柏書房)などに執筆。
<概 要>
現在の武蔵野市八幡町および緑町には、戦時中、「零戦」など航空機のエンジンの工場である中島飛行機武蔵製作所がありました。その大きさは当時東洋一といわれました。やがて、昭和19年11月にマリアナ諸島から飛来するアメリカの戦略爆撃機B29による「本土空襲」が始まりますが、ここ武蔵野は最初の目標になりました。その後、終戦までに合計9回に及ぶ爆撃を受け、中島の工場は廃墟となりました。
今回は、戦中・戦後にアメリカ軍が撮影・調査した時の写真や戦後撮影された写真などを紹介してくださり、中島飛行機武蔵工場と空襲についてお話しいただけます。