「吉祥寺(武蔵野市)歴史クイズ」解答編
■ 第十六問 ★★答え 都立武蔵野中央公園
武蔵野台地の一角で、もともとは、コナラや草が生い茂っていた場所であったが、承応3年に玉川上水が完成し、水が引かれると、近くは、関町や保谷、遠くは港区の芝から来た開拓農民の手で畑がつくられていた。その後、二百年程は、農村地域で、畑の続いているようなところであった。その後、日中戦争が始まり、昭和13年に、大東亜戦争で使われた零式戦艦上闘機など、陸海軍の航空機の発動機を生産する、中島飛行機株式会社の工場が、現在の武蔵野中央公園敷地を含む約199,650坪に造られた。工場は、そのため、米軍の爆撃の標的となり、昭和19年以降、9回もの空襲に合い、工場だけでも220人と、周辺住民も含めるとかなりの死傷者を出すと共に、工場は壊滅的な被害を受けた。
そして太平洋終戦終了後、昭和28年にこの敷地には、760世帯の米国軍人の住む、米軍宿舎グリーンパークが造られた。その後の、返還運動で、ようやく昭和48年に返還され、昭和50年に東京都が、都市計画公園として整備することになり、現在の武蔵野中央公園がある。