番外編 「吉祥寺のルーツ 吉祥寺から“吉祥寺”を訪れる」
2004年3月28日(日)、駒込吉祥寺 及び 水道橋吉祥寺跡周辺の見学をいたしました。
駒込吉祥寺 基本データ
宗派:禅宗(曹洞宗)
住所:東京都文京区本駒込3−19−17
電話:03−3823−2010
時間:9:00〜17:00 年中無休
当代住職:岩本昭典住職(四十四代目)
13:30 吉祥寺駅北口広場集合
当日は良く晴れた暖かい日で、散策日和になりました。
吉祥寺駅北口広場には、運営スタッフを含む10人が集合し出発しました。
車内では、駒込吉祥寺に関する参考資料を皆さまにご覧いただき、あれこれと話が盛り上がり、あっという間に乗換駅の四ツ谷に到着しました。
14:30 現地1次集合 営団地下鉄南北線 本駒込駅改札
さらに2人がご参加されて、2次集合場所へ移動しました。
14:45 現地2次集合 駒込吉祥寺山門前
さらに8人がご参加されました。
駒込吉祥寺は、戦災でその建物のほとんどが焼かれてしまいましたが、この山門と経蔵だけが当時のまま残っています。
お寺の山門には「○○山」という山号を掲げるのが通常ですが、駒込吉祥寺の山門には「旃檀林」:センダンリンという文字が掲げられています。旃檀林とは、寺内に設けられた禅学の学校で、現在の駒沢大学の前身です。
15:00 駒込吉祥寺 本堂見学
吉祥寺のご住職、斉藤誠行(さいとうせいこう)様から、駒込吉祥寺についてのご説明を頂きました。
斉藤様ご自身も、駒込吉祥寺にいらしてから日が長くはないので詳細はわかりませんが、とおっしゃってお話をおはじめになりました。
駒込吉祥寺は、1458年江戸城築城の際に、太田道灌が井戸の中から「吉祥」の文字が刻された金印を発見したことに始まります。この金印を瑞祥として、城内(現神田駿河台付近)に寺を建立しました。
ところが、1657年の明暦の大火にて吉祥寺は焼失してしまい、現在の駒込に寺を移動しました。その際、罹災した周辺の住民は現武蔵野市吉祥寺へ移住しましたが、その理由について、吉祥寺に伝えられている話によると、
「旃檀林に集まった、常時千人以上の学僧の食糧を確保する為と思われる、寺の別墅地(領地)が武蔵野市吉祥寺にあったため」
とされています。
ただし、武蔵野市吉祥寺のどの辺りにどのくらいの土地があったのか、何故そこにあったのか等の詳細は現在では全くわからないとのことです。
昭和に入ってから、戦災で吉祥寺のほとんどが焼失し、当時からの面影を残すものは山門と経蔵(書庫)だけとなりました。
現在の敷地面積は、約2万坪と、寺の中でも群を抜いて広い敷地です。
往年はもっと広かったそうで、一般の企業等へ土地の切り売りはしないものの、最近では隣接する駒込病院の建設の際に多少の土地を手放しています。
吉祥寺は将軍家ゆかりの寺ということで、徳川家康から寄進された興聖菩薩作の「毘沙門天尊像」をはじめ、五代将軍綱吉から下附された、江戸城の「登城太鼓」等が残っています。
毘沙門天尊像は秘仏ということで、現在まで一般へ公開はされておらず、吉祥寺のご住職だけが拝むことができるそうです。
吉祥寺の歴史は大変長く、また明暦の大火、戦災という歴史を経ている為、資料等はほとんど残されておらず、その全貌を知ることは、吉祥寺の関係者であってもなかなかに難しいとのことです。
以前、吉祥寺の歴史について、関係者によって調査し編纂したという資料があったそうですが、斉藤様ご自身もご覧になったことがなく、現在は原本、複写ともに行方がわかっていないそうです。
15:45 駒込吉祥寺 境内見学
鳥居耀蔵、榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳の墓、『八百屋お七』のお七・吉三の供養塔等の見学をしました。
広大な境内には、その他各界著名人と思しき大きな墓が多数見られました。
斉藤様にそれぞれのお墓の由来をお聞きするも、やはり詳細資料が無く、わからないことが多いとおっしゃっていました。
16:40 文京区シビックセンター見学
本堂と境内を見学後、再び営団南北線に乗って後楽園駅まで移動しました。
文京区の区役所である、文京区シビックセンター25階にある展望台へ。この展望台からは、周囲を330度見渡すことができます。
中野サンプラザまでは目で見ることができましたが、武蔵野市吉祥寺周辺には背の高い建物がないせいか、距離のせいか、我がまち吉祥寺を確認できるものは見えませんでした。
展望台から、水道橋にあったとされる吉祥寺跡地を探しました。
現在の東京都立工芸高校付近に、吉祥寺の表門があったとされています。「江戸図屏風」に描かれた、水道橋周辺図と現在の景観を比べつつ在りし日の吉祥寺を思い描きました。
こちらの展望台のドリンク販売コーナーにお勤めの若い女性が、偶然にも工芸高校の生徒さんとのことで、工芸高校の生徒手帳には吉祥寺の変遷についての記載があるというお話を伺うことができました。
残念ながら、当日は生徒手帳を携帯されていないとのことで、現物を拝見することはできませんでした。吉祥寺の記載があるのは生徒手帳のみで、学内に記念碑等はないそうです。
17:20 水道橋吉祥寺跡地(東京都立工芸高校)周辺見学
東京都立工芸高校まで行き、この辺りが当時の表門であったとのこと、その様子を皆で想像しました。
シビックセンターで伺った、生徒手帳のお話が気になりましたが、残念ながら当日は日曜日で学校の事務所も閉まっていて実際にその記載内容についての確認は取れませんでした。
帰りは、当時「吉祥寺橋」と呼ばれていたという「水道橋」を通ってJR水道橋駅まで歩き、予定通り行程終了となりました。